dekoboko日記

発達凹凸っ子・母子分離不安・付き添い登校な日々

【発達障害に気づくまで③】親子教室での大癇癪(2歳)

ASDの特注として「切り替えの苦手さ」があります。

 

もちろん息子も大の苦手で、切り替えだらけの小学校生活は親子共々憔悴してしまう日々です。

親子教室にも慣れてきたある日、この切り替えの苦手さから息子は大きな癇癪を起こしてしまいます。
今でもその時の心情をはっきり思い出せるほど、私にとって悲しい出来事でした。

サーキット遊びの片付け
親子教室のは「朝の会→親子の触れ合い遊び→おやつタイム→サーキット遊び→帰りの会」という流れになっていました。
サーキットというのは段差を上がったり降りたり、平均台や坂を歩いたりと小さいアスレチックのようなものをグルグル渡り歩くもので
息子はこのサーキット遊びが大好きでいつも大興奮。
このサーキット遊びの片付け時間に癇癪が起きてしまいました。
いつもならサーキット終わりの合図でスムーズにお片付けできていた息子。
しかしその日はもう少し遊びたかったのでしょう。大声で泣き叫びはじめてしまいました。

大泣きの息子と呆然とする私
必死に息子をなだめようとしましたが、言葉もまだしっかりでていないためひたすら泣き続ける息子。
部屋中に響き渡る大声でしたがその場にいた保健師さんは誰も声をかけてくれることもなく、みんなは帰りの会をはじめました。
私は落ち着くまで部屋の隅に息子を移動させ(無理矢理)、背中をさすったり声掛けをして息子が落ち着くのを待ちました。
帰りの会も終わり、他の親子がいなくなった部屋でまだ泣き叫び続ける我が子。
保健師さん達は何をするでもなく遠目からその様子を見ていました。
私がどう対応するのか観察されているようで気持ちが苦しくなったことを覚えています。(あえて声掛けをひかえてくれていたのかもしれませんが)
もう部屋を使えない時間になってしまったのか、やっと1人の保育士さんが近づいてきてしまいました。
「もう泣き止むのは待たずに帰りましょう」そう言われて私は暴れる息子を抱きかかえ、駐車場へと必死に歩きました。

振り返って思うこと
実はこの親子教室の週末、息子とはじめてのお泊りキャンプを予約していました。
しかしこの出来事で泣き止まない息子、周りの白い目、そして息子を落ち着かせてあげられない自分の不甲斐なさがとても怖くなってしまい、帰りの車の中でキャンプの予約をキャンセルしたことを覚えています。
とても苦しくて悲しかった。保健師さんにどう対応すればよいのか教えてほしかった。
今だったらその場でどう対応すればよいかはっきりと聞く自身がありますが、まだ母親として幼かった当時の私には息子をなだめるだけで精一杯でした。

息子は切り替えが苦手です。しかし自分でここまでと決めたら守ろうと頑張ることはできるのです。
当時のサーキット遊びでも保健師さんに相談をして少しだけ遊び場を作ってもらい、あと数回遊べば満足して片付けできただろうと今は思います。(こちら本位かもしれませんが、できれば保健師さんにそんな感じのアドバイスをしてほしかった)
人に合わせることが苦手なASDは一斉指示に従うことももちろん苦手。自分のペースをつらぬきたがるんですよね。「無理矢理やめさせる」ではなく周りの許容範囲内でその子に「終わりを決めさせる」のがベストだと思っています。
この「周りの許容範囲内」というが世の中のルールなので、また難しいところなのですが。
そこについては小学校の6年間の中で成長していければと考えています。