dekoboko日記

発達凹凸っ子・母子分離不安・付き添い登校な日々

【登園拒否①】最初のきっかけ

2年前の夏休み明け。
息子は幼稚園に行くことができなくなりました。

 

完全不登園から付き添い登園の日々について記録していきます。

 

最初のきっかけ

年中の2学期がはじまって最初の金曜日。
コロナの影響で今まで教室前まで送迎OKだったのが禁止になりました。
担任の先生にも相談をして、これをきっかけに玄関で離れる練習をはじめましょう!ということに。
大泣き大暴れでの無理やりな朝になりましたが、今までも降園時には「楽しかった♪」と過ごせていたので特に心配もなくお迎えに行きました。

しかしその日は1日中怒って泣いていたらしく、泣きはらした目で私に抱き着く息子。
怒りの気持ちもすごく、帰りは20分の道のりを抱っこをして帰ったのを覚えています。

その日の夜、息子が自分で髪の毛をむしっているのに気づきました。
それに加えて喉鳴らしのチック症も。
このチックはどんどんとひどくなり、その後まともに会話もできないほどになってしまいます。
この日から昼夜逆転、過度な母子分離不安、母親以外への異常な敵意…と私達家族の日常が崩れていったのです。

振り返って思うこと

その翌日、年少の頃から息子単独で通園をしていた療育がありました。
息子のひどい状況を療育先の先生に相談したところ
「療育も幼稚園も通わなければならないところなので、お母さんは毅然とした態度で送り出せば大丈夫ですから!やらなければいけない、を教えていかなきゃですよ」と。

息子は入園当初からずーっと行き渋りがありました。
それは幼稚園だけでなく、療育に関しても。
落ち着くまで私が付き添ったり、登園しぶりの絵本を一緒に読んだり、最終的には先生に無理やり預けたり、と色々な対応をしてきました。
それでも1年半、息子が楽しそうにお別れできることはほぼ無かったんです。
年少さんの最初の頃だったら療育先の先生のアドバイスも納得できます。
でも息子にはいくら頑張ろうと伝えても、息子自身にそれを受け入れる器が出来ていなかったのでしょうね。

 

これは今現在の登校しぶりにもつながるのですが、

母親と離れたくない → 幼稚園・学校に行かない ではなく
幼稚園・学校が本人にとって安心できる場所になっていない → 母親(安全基地)から離れられない

なのかなと私は考えています。
もちろん人によってはそれと真反対のアドバイスをしてくることもあります。
それは甘やかしだと、突き放せばいいのだと。
でも子供の気持ちや状態を判断するのは母親(家族)の考えが芯となっていいと私は思うんです。
だって1番子供を身近で見て感じているんだから。

もちろんアドバイスを参考にするのは大切です。
でもそのアドバイスで苦しくなってしまうのだとしたら、スルーでいいと思います。
お母さん(家族)と子供本人が楽しく過ごせることが何より大切です。
いまだに私も他者からのアドバイスに心乱されることがたくさんありますが、毎回息子本人に目を向けて何がベストなのかを考えるように気を付けています。

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